ニーハオ!子連れ台湾紀行

台湾大好きな北海道在住のアラフォーママのはちゃめちゃ子連れ旅行記。

なぜ台湾ブログを始めることにしたのか

f:id:obeni935:20190412133708j:plain



初めまして、北海道在住のおべにと申します。

 

初記事は何故このブログを始めたのかを書き綴ってまいります。

 

こちらにも書いておりますが、

私が初めて台湾に訪れたのは兄夫婦の結婚式の時。

 

その時にどハマリして毎年のように台湾に行っていますが、

ブログを始めようと思ったきっかけは台湾好きが高じてではありません。

(それが理由ならとっくに始めてますよね^-^;)

 

ちょっぴり濃ゆーい内容となりますので、

胃もたれ回避したい方はスルーなさってください(笑)。

 

ダンナはんは元中国語教師

 

こちらで軽く触れてはおりますが、

私のダンナはんは昔中国に留学経験がある元中国語講師

 

元々は高校の部活仲間で、

卒業しても連絡を取り合っている唯一の男友達でした。

 

とはいえ、

最後に連絡を取り合ってから8年ぐらいは経っていたでしょうか。

 

何か思い立ったのか、

突然連絡がきて久しぶりに会おうという話になりました。

 

それが2012年5月のことです。

 

元々あまりおしゃべりではなく、

自分のことを進んで喋るタイプではなかった彼。

 

その時に初めて以前中国に短期留学していたことを知りました。

中国語認定の資格も取り、

近々中国語教室を開こうと思っていると言うのです。

 

何たる偶然か、

その年の11月に兄の結婚式で台湾に行く私。

 

相手の家族に簡単でもいいからご挨拶がしたい!

是非習わせてほしい!

 

私のその申し出に、彼は快く受けてくれました。

 

f:id:obeni935:20190412121121j:plain

初めての台湾、九份にて。この絶景は何度見ても素敵。

 

 空白の8年間の出来事…

 

その日話してくれたのはそれだけじゃありませんでした。

私の知る限りでは、彼は大手自動車メーカーの工場で働いていました。

(中国留学はその前に行っていたらしい)

 

ですがその会社は体調不良で退職。

実はダンナはん、腎疾患に罹っていたのです。

 

地元に戻り3日に1度に透析を受ける日々。

そんな毎日続くことに絶望し、

『生きる希望を捨てたくない!』

お義母さんから腎臓提供してもらい移植手術をしたそうです。

 

会ったその日は移植手術を受けてもう5年ほど経っていたので、

見た目にはまったくわからなかったし、

さら~っと話すので返って衝撃を受けました。

 

そしてダンナはんの言葉が心に付き刺さったのです。

 

「1度は終わりかけた人生、2度目の人生は絶対に後悔したくない。

だから自分の好きなことをして人生を全うしたい。」

 

一度死の淵に立った彼、高校時代と違ってまるで別人になったよう。

なんだか頼もしくなって考え方もすごくポジティブになっていました。

 

出会ってから16年目にしてお互い惹かれるものを感じ、

程なくしてお付き合いが始まりました。

 

初めて2人で台湾へ

 

初めての台湾ですっかりハマってしまった私。

帰ってからも台湾熱は冷めることなく、

一緒に暮らし始めていたダンナはんに台湾の魅力を

毎日の様に語っていました(笑)。

 

そんなに言うなら2人で行ってみようかとなり、

2013年2月に初めて2人で行きました。

f:id:obeni935:20190412133435j:plain

十份にて天燈あげ。ダンナはん、願い事書き過ぎw。

 

個人旅行だったので、色々とすったもんだがありましたが

彼なりに台湾に興味が湧いたのでしょう。

 

その9ヶ月後になんと私を置いて単独で2ヶ月もの長期滞在へ!!

(その間私も1週間程行きましたが)

 

ゲストハウスに寝泊まりし、

現地のレストランでアルバイト。

(注:今だからお話できますが、観光ビザなので不法就労です…

皆さんは絶対にマネしないで下さい)

 

台湾人の同僚ともすっかり仲良くなり、

自分のやりたいことのビジョンも微かに見え始めて来ていたようです。

 

帰国後すぐにプロポーズされ、1ヶ月後には入籍しました。

 

ダンナはんの人生設計を狂わせてしまった出来事

 

付き会い始めた頃、

父はダンナはんをすっかり気に入り

2人で飲みに行ったりもしていたのですが、

そんな父から感化を受けた彼、

 

「お父さんのような経営者の元で働いてみたい!」

 

と、私にも父にも相談することなくバイトの面接に行っていました!

父はコネを使おうとしない彼をますます気に入っていました。

 

しかし結婚が決まっても、

アルバイトを掛け持ちし続けていることを

よくは思っていませんでした。

 

(彼は体のことや中国語教室をやっていた事もあって

アルバイトをしていたのですが、

まあ娘の父親であればみんな心配になりますよね)

 

私達の結婚式での挨拶の際、

なんと父は彼を正式に社員にすると宣言!!

 

父の会社の幹部社員も出席していたのですが、

みんな寝耳に水。

 

何より、私もダンナはんも出席者も狐につままれたようで、

直前に読んだ両親への手紙の感動的な雰囲気が

瞬時に吹き飛んで行ってしまいました(苦笑)。

 

少ないながらも中国語教室には

熱心に通い続けてくれている生徒さんがいらっしゃり、

父の誘いに相当迷っていたダンナはん。

 

父から

「今後、我が社はアジアへの輸出を検討しているから

その時は君に一線で活躍してもらおうと思っている」

と言われ、ついに入社することを決めたのです。

 

入社する前には新婚旅行で再び台湾へ。

しかも1ヶ月半もの長期間滞在をしました。

 

台湾中毒の方々には羨ましがられそうですが、

2人とも早々に体調を崩し、

台湾蚊に刺されたりPM2.5の影響等もあって回復する事無く

ずっと体調不良でした(苦笑)。

f:id:obeni935:20190412134246j:plain

体調を崩しながらも、台南・高雄・台東などにも行きました。

 

 農業のブラック体質に打ちのめされるダンナはん

正式に社員となったダンナはん。

 

それまではバイトだったので、

8時から17時までの1日8時間労働でしたが、

正社員は現場の責任者が決めた時間に出勤しなければなりません。

 

そして日が暮れるまで働きっぱなし。

長い日では夜9時ぐらいに帰ってくることも。

休みは週1回。

 

通常の企業であればこんな働かせ方はアウトです。

しかし農業は別途特別な労働基準があり、

繁忙期に関してはこれでもOKなのです…。

 

腎臓移植をしていて1級障害者なので、

そのあたりは会社に考慮してもらえると思っていたダンナはん。

ですがそれもしてもらえる様子もなく…

 

ダンナはんは毎日帰ってくると愚痴を言うようになりました。

この人、こんなにネガティブだったのか!と驚いたほど。

でも、それだけ心身ともに追い込まれはじめていたのです。

 

子供が生まれ、ダンナはんを労ってあげられなかった

 

結婚後2年で娘ポテコを妊娠。

それでもダンナはんは毎日グチグチ…。

 

お腹の子にネガティヴな感情を与えたくなかったので、

胎教に悪いからやめて!と訴えました。

 

f:id:obeni935:20190412134440j:plain

妊娠中に行った時はちょうど50年に一度の大寒波。室内ばかりいました…

 

会社の閑散期に恒例の台湾旅行。

 

その旅行中には愚痴はなかったものの、

帰国し仕事が始まるとまたグチグチ…。

 

無事ポテコが生まれ、里帰り出産から帰って来てもグチグチ…。

そんなダンナはんに私はブチギレました。

 

でも今思えば、ダンナはんにとってもポテコは可愛い我が子。

聞かせたくて聞かせてたわけじゃない。

 

仕事は炎天下の過酷労働ばかり。

父の話していたアジア進出をする兆しもまったくない。 

 

ダンナはんは、自分の本当にやりたいことを我慢して働くことに

耐えられなくなっていたのです。

 

それに気付いてあげられず、娘のことばかりにかまけていた私。

ダンナはんには本当に申し訳ないことをしました。

f:id:obeni935:20190412135031j:plain

ダンナはんを置いてポテコと2人で台湾へ。なんて酷い嫁だ…

 

 ダンナはん、ついに決断!!

 

 2018年の春のこと。

 

ダンナはんに、

「やっぱり俺は自分の語学を活かした仕事をしたい。」

 

と、真剣な想いを告げられました。

 

まだまだ小さいポテコがいるので、

普通の奥さんなら「何考えてるのー!」と怒っちゃうかもしれません。

 

でも再会した時に彼に言われた言葉。

 

「1度は終わりかけた人生、2度目の人生は絶対に後悔したくない。

だから自分の好きなことをして人生を全うしたい。」

 

その時のダンナはんはとってもキラキラしていたのに、

今は家族のために人生を犠牲にして、

すっかり彼らしさがなくなってしまっていました。

 

私たちのために身も心も擦り減らしていたのです。

 

気がついたら私、

即答で「いいよ、やってみなよ」と言ってました。

 

普通に考えたら、

これからのポテコの教育費はバカにならないし無謀だと思うでしょう。

 

でも、彼に無駄な時間を過ごさせてしまったという負い目がありました。

それとその時はなんとかなる気がしたんです、漠然と。

 

この人なら大丈夫だろうと。

 

 

だって2度目の人生を生きられる人ってなかなかいるもんじゃない。

その人生を無駄になんかしないはず。

 

彼なら大丈夫!

 

それに決して贅沢はできなくても、

お金より何より大切なものがあります。

それは家族の笑顔。

 

家族みんなが笑顔でいれられればいいじゃないの!

 

 夢に向かって走り続けるダンナはんを応援したい

 

2019年1月に退社したダンナはんは、

昨年中に個人事業主として開業しています。

 

兄嫁の妹さんを通して少しずつ台湾への取引をしていました。

 

現在、中華圏の観光客向けサービスを開始予定で、

ホームページを鋭意作成中です。

 

実はデジタル面がめっぽう弱いダンナはん。

悪戦苦闘しながら、時々私に教わりながら頑張っています。

 

そしてなにより、とっても生き生きしています!

 

 

そうです、私がブログを始めようと思ったきっかけは、

夢に向かって頑張るダンナはんの少しでもお役に立てるように

という想いから。(←前置き長かったな~)

 

少しでもダンナはんの力になれるようにと私なりに考えた結果、

このブログを始めてみることにしました。

 

ブログなのでこちらが発信する側なのですが、

私はこのブログを通して色々な方と繋がりを持ち、

何かしらのかたちでダンナはんの手助けができないかな~と考えています

 

f:id:obeni935:20190412121104j:plain

大好きな台湾グルメについても沢山書いていきますね!


以上、なぜ台湾ブログを始めることにしたのかでした。

 

しかし長い!長いよ!!

スマホの人は指疲れちゃいますね。(;´Д`A

 

なかなか文章をまとめられなくて、ごめんなさい(汗)。

実は長文のタイピングはすごく久し振りなので、

文章まとめるのがとてつもなくヘタクソになっております(泣)!!

 

しかもめっちゃ打ち込み遅くなってるし…。

こんなんで、ちゃんと更新していけるのか?!

 

とりあえず、週3回更新が目標なのですがね…。

が、頑張りまーす!!(白目)

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

次回は台湾の結婚式についてのお話を書き綴りたいと思っています!

 

それでは、再見(≧∀≦)。